組み込みエンジニアの現場力養成ドリル(26)
全数検査の落とし穴 ―― 全人口にPCR検査をしても意味がない数学的な理由(2/2 ページ)
解答
0.971%(97.1%ではなく)
解説
問題に書いた条件でPCR検査を実施し、陽性判定されても、実際に陽性である確率は0.971%しかありません。これでは、全人口にPCR検査をしても、効果はありません。
ソフトウェアのテスト(検査)では、「テストケースを実行して、予測した結果と違えばバグ(陽性)、合致すれば正常(陰性)」と判断します。「陽性じゃなければ陰性」であり、実に単純明快です。一方、ウイルス検査では、陽性になる精度(確率)と、陰性になる精度(確率)を分けて考えます。ここが「複雑さと誤解」の原因です。
別の身近な例で考えましょう。プロ野球のトップレベルの投手は自由自在に投球を操ることができますね。同点で迎えた9回裏2死満塁、カウントは3ボール2ストライクというシビれる場面で、コントロールのよい投手は、意図して「ストライク」と「ボール」を投げ分けられます。ここで、「投手の意図」と「審判のコール」を以下の4通りに分類します。
①ストライクを意図した投球を審判がストライク判定した
②ストライクを意図した投球を審判がボール判定した
③ボールを意図した投球を審判がボール判定した
④ボールを意図した投球を審判がストライク判定した
野球では、審判のストライク・ボールの判断は「神の声」であり、絶対と仮定します。ピッチャーの投球の意図と審判の判定を確率で以下のように仮定します(ボール球は、ワンバウンドしたり、キャッチャーが飛び上がって捕球したりする場合など、「明らかにボール」の場合があり、ストライク球よりゾーンが広いため、意図してボール球を投げられる確率が高いとしました)。
①ストライクを意図した球がストライクだった ➞真ストライク(80%)
②ストライクを意図したのに、ボールだった ➞偽ストライク(20%)
③ボールを意図した球がボールだった ➞真ボール (95%)
④ボールを意図したのに、ストライクだった ➞偽ボール ( 5%)
この例では、「投手がストライクを意図した投球がストライクになる確率」は80%です。この原因と結果を入れ替えます。「審判がストライクと判定した時、投手がストライクを意図していた確率」はどれくらいか? この確率が高いと、コントロールのよいピッチャーとなります。以下の図の「???%」の部分です。
この「逆向きの確率」が条件付き確率です。結果(審判のコール)から、前の状態(投手の意図)を推測するものです。「審判がストライクをコールしたとき、投手がどの程度、ストライクを意図していたか」を「ストライクの正確さ」と定義すると、以下の式になります。
ストライクの正確さ=ストライクを意図した球数÷実際にストライクだった球数
=①真ストライク÷(①真ストライク+④偽ボール)
「ストライクの正確さ」では、偽ボール(投手はボールを意図したのに、審判がストライク判定した)も考慮するところがミソです。投手がストライクとボールを50%の確率で投げる場合、ストライク判定の中で、投手が意図してストライクを投げた確率は94.117%です(これが、①真ストライクの確率である「80%」と違うことに注意。計算法の詳細は後述)。この「ストライクの正確さ」が、ウィルス検査では、「陽性判定の人が正確に陽性である確率」になります。
ウイルス検査の例に話を戻します。検査で陽性になった人の中で、本当に陽性の人の割合ですが、分母は「検査で陽性で、実際にも陽性」プラス「検査で陽性だったが実は陰性(健康)」です。分子は「検査で陽性で、実際にも陽性」ですね。上記の条件では「検査で陽性だったが実は陰性」が非常に多く、真陽性率が0.971%になってしまいました。以下の表で真陽性率を計算したプロセスを示します。
検査で陽性判定された場合、実際に陽性である割合が0.971%と予想外に低いのは、感度が低いためでなく、罹患率が低いためです。以下、罹患率と、特異度も見ましょう。
罹患率
「集団の中で、感染している人の推定値」が罹患率で、これが低いと*2)、健康な人を陽性(感染者)と誤判定するケースが爆発的に高くなります(偽陽性)。罹患率が0.001の場合、100万人に検査を実施すると、特異度が90%なので、9.99万人の正常者を陽性と誤って判定します(偽陽性)。一方、100万人の中で、真陽性者は980人で、真陽性率は0.971%となります。真陽性率がこれほど低いと、全人口に検査を実施しても、意味はありません。
罹患率が変わると、真陽性率が(真陰性率も)どう変化するかを以下に示します。100人に1人が感染していると思われる「爆発的状態」では真陽性率が9%、10人に1人の「壊滅的な状態*3)」で52.12%になります。
*2)設問のサンプルでの0.001は、伝染病としては十分高いと思います。
*3)ちょうど100年前、第一次世界大戦直後から大流行した「スペイン風邪」では、少なく見積もって世界の人口の20%が感染し、1千万人規模(1700万人から1億人)の死亡者が出ました。当時の日本では、人口5500万人のうち39万人が感染死。感染死した有名人には、エゴン・シーレ、グスタフ・クリムト、ギヨーム・アポリネール、マックス・ウェーバー、島村抱月がいます。
特異度
特異度が100%(健康な人は必ず陰性になる)だと、感染者を感知する感度がどれほど低くても、真陽性率は必ず100%になります(ボール球を意図して投げる場合、必ずワンバウンドの球を投げるのと同じ)。ただしその場合、陰性認定の場合に本当に陰性かどうかの確率が下がります。以下に、特異度を100%、罹患率を0.001とし、感度を変えた場合の真陽性率と真陰性率を示します。
検査の感度が0.2と非常に低くても、陰性判定された人が100%で陰性ならば(特異度が100%なら)、検査で陽性判定されると、100%で感染していることになります。
「感度が0.2でも、真陰性率が99.9199%なので、陰性判定ならほぼ陰性だ。それなら、試験方法は、感度が少々低くても、特異度を高くすればよい」と考えてしまいそうですが、そうではありません。罹患率が0.001とすると、1000人で1人、1万人で10人感染していることになります。感度が0.2だと、真陰性率が99.92%としても、0.08%の見逃しがあり、1000人で80人、1万人で800人も見逃します。要は、「ボール球を意図した投球では、必ずワンバウンドで投げ、ストライクを意図した場合、ほとんどがボールになる」状況です。「感染者」より「見逃し人数」の方が多く、これでは検査の意味がありません。
一般に、検査での判定基準を厳しくすると特異度が上がりますが、感度が下がり感染者を見逃してしまいます。感度を上げるため判定基準を甘くすると特異度が下がり、偽陽性が増えて特異度が下がります。ここが検査の難しいところです。
解決策は?
理想の検査法は、感度100%、特異度100%ですが、そうはいきません。検査法は急激には改善できません。ストライクを意図した球が100%ストライク、ボールのつもりの投球が100%ボール判定されることは現実的ではありませんし、コントロールが数週間、数カ月で良くなることもありません。ではどうすればいいか?
真陽性率を上げる「とりあえずの対策」が、「罹患率を上げる」で、検査する集団の罹患率を「急激に」上げればいいのです。すなわち、「感染の疑いが濃厚な人を選んで検査する」となります。これが理由で、現在、むやみに検査範囲を広げず、「咳が出て、高温が続き、味覚/嗅覚障害があり、倦怠(けんたい)感がある感染の可能性の高い人」を検査対象にしています。
モンティ・ホール問題とコロナウイルスの検査数
真陽性率の計算は、医師の国家試験で出題されるので、医療関係者は全数検査が無意味であることを知っています(知っているはずです)。一方、ワイドショーのコメンテーターや、一般の人々は、理解しているとは思えず、「検査範囲をもっと広げろ」と言っています。
医者が言う「もっと検査を」は、「感染の可能性の高い人の検査を迅速に実施せよ」の意味で、一般の「もっと検査を」は、「自分が感染者でないことを知って安心したいので、広範囲で検査しろ」の意味です。条件付き確率を基に全検査の無意味さを説明するのが面倒なためか、テレビで説明することはありません。「週末は自宅で過ごして」と小池都知事が要請した瞬間、スーパーマーケットの食料やトイレットペーパーの買い占めに走るオジサンやオバサンは、説明されても、条件付き確率の意味が分からないでしょう。
「一般の人々は条件付き確率を理解しない」現象は、連載第5回で取り上げた「モンティ・ホール問題」で顕著になりました。1990年に起きたこの事件では、社会現象になるほど、多数の人が「選ぶドアを替えても、高級車が当たる確率が変わる訳がない」と条件付き確率を理解せず、マリリンをバッシングしました。抗議の手紙やFAXは(当時、メールは一般的ではありませんでした)数万通に達し、この中には、条件付き確率やベイズの定理を十分理解しているはずの統計学者や数学者もいました。今回のコロナウイルス禍で、医者が「PCRの全数検査をしろ」と主張するようなものですね。
マリリンのモンティ・ホール問題では、コラムを掲載した1990年9月9日より、数千人から(統計学者や数学者が数百人もいました)バッシングを受けました。条件付き確率が理解されたのは1991年2月17日ごろでした(この日、投書の統計を取ったところ、97%がマリリンが正しいと書いてきました)。投書の中には、「あんたが女だから、そんな理不尽なことを言うんだ」とあからさまな性的差別もあったそうです。
「歴史は繰り返す」とすると、「モンティ・ホール問題」から推定するなら、「全人口にPCR検査を実施しても効果がない」と分かってもらうには6カ月かかりそうですね。その頃には、コロナウイルス騒動が沈静化していることを願っています(100年前のスペイン風邪の例から推定すると、私は個人的には、本格的な鎮静は2021年3月と思っています)。
おわりに
条件付き確率の考え方は、慣れないと戸惑います。特に、直感的な確率と、条件付き確率を考慮した数学的な確率が大きく異なると、大混乱します。
条件付き確率の基本的な考え方は、「投手が意図した投球と、審判の判定」の例を考えれば、すんなり理解できると思います。難しいのは、「このケースは、条件付き確率を適用すべきである」と見抜くことです。基本的に、結果から原因を推定する場合、条件付き確率のケースになります。ソフトウェア開発で出てきそうですね。
条件付き確率となるかどうか、条件をきちんと絞り込むことが最大の課題でしょう。
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このコラムでは、組み込みエンジニアが日々の開発で実際に遭遇する「小さなトラブルを」取り上げ、演習形式で解説します。
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